沖縄

【名護市長選】民進、共産、自由、社民、推薦のオール沖縄の現職・稲嶺氏が敗北 展望なき移設阻止に偏り オール沖縄勢力の瓦解の流れ

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1 名前:復讐の鬼 ★:2018/02/04(日) 23:10:39.95 ID:CAP_USER9.net

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の同県名護市辺野古移設問題が最大の争点となった名護市長選は4日、投開票され、
無所属新人で元市議の渡具知武豊(とぐち・たけとよ)氏(56)=自民、公明、維新推薦=が、
3期目を目指した無所属現職の稲嶺進氏(72)=民進、共産、自由、社民、沖縄社大推薦、立民支持=を破り、初当選が確実となった。

安倍晋三政権が全面支援した渡具知氏の勝利で、辺野古移設を加速させる環境が整い、移設の早期実現へ大きく前進しそうだ。

 投票率は76・92%で、前回(76・71%)を0・21ポイント上回った。

 名護市長選は、辺野古移設を着実に進めたい安倍政権と、反基地を貫く「オール沖縄」勢力の象徴、翁長雄志(おなが・たけし)知事による
「代理戦争」の構図だった。今秋に控える知事選の前哨戦にも位置づけられ、両陣営は国政選挙並みの総力戦を展開した。

 移設阻止を訴えてきた稲嶺氏が敗北したことで、翁長氏がこれまで移設反対の大義としてきた「民意」が崩れた格好。
安倍政権にとっては、秋の県政奪還に向けて大きな弾みとなった。

渡具知氏は自民党の推薦に加え、前回の市長選で自主投票とした公明党の推薦を受けた。
市議時代には辺野古移設推進の立場をとってきたが、同党内の移設への慎重論に配慮し、市民生活の向上や経済振興などを争点として強調。
政府との協調路線を打ち出し、稲嶺市政時代に停止されていた米軍再編交付金も活用した新たな名護市づくりに取り込むと訴えた。

 稲嶺氏は共産党はじめ革新勢力の組織的な支援を背に、告示前には渡具知氏に先行していた。
選挙戦でも「辺野古に基地は造らせない」と移設反対を前面に掲げていたが、展望なき移設阻止に偏り過ぎた「空白の2期8年間」に対する不満が市民に徐々に浸透。
国と対立し、市民の暮らしや地元振興などが置き去りにされた現状の打開を望む「民意」に退場を突きつけられた。
市民の間に「辺野古移設は止められない」というムードが広がっていることも敗因となったとみられる。

 稲嶺氏の敗北により「オール沖縄」勢力の瓦解の流れも強まりそうだ。稲嶺氏と二人三脚で辺野古阻止を主導してきた翁長氏は、
次期知事選への態度を明言していないが、再選出馬への戦略の見直しが迫られる。

 政府は昨年4月、辺野古沿岸部の護岸埋め立て工事に着手した。県は工事差し止めを求めて提訴したが、政府は工事を進めている。

http://www.sankei.com/politics/news/180204/plt1802040020-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/180204/plt1802040020-n2.html


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517753439
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【朝日新聞】沖縄国際大4年「「反対派は偽装県民」―。ネット情報を、普通に信じていた」「「フェイク」に踊らされたのは自分」

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1 名前:(^ェ^) ★:2018/02/04(日) 08:19:02.27 ID:CAP_USER9.net

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180204-00000005-asahi-pol

 4日に投開票される沖縄県名護市長選。地元の高校の1学年違いで、今回初めて選挙に関わり、別々の候補を応援する2人の大学生がいる。米軍普天間飛行場を移す先として名護市辺野古が浮上して20年余り。物心つく前からの歴史の重みを感じながら、ふるさとを思い、行動している。

【写真】応援演説に立ち、渡具知氏への支持を訴える新垣康大さん=1月31日午後3時52分、沖縄県名護市

■「フェイク」に踊らされたのは自分

 3日、沖縄国際大(宜野湾市)4年の具志堅秀明さん(24)は名護市内を巡って、現職の稲嶺進氏(72)への支援を呼びかけた。

 ヒップホップが大好きだ。米国文化にあこがれ、米軍基地内にあるバーでアルバイトをした。同世代の米兵は、学費を稼ぐために軍隊にいると明かした。心に傷を負い、食べては嘔吐(おうと)を繰り返す米兵も見た。基地への疑問が膨らんだ。

 「普天間飛行場は昔、田んぼの中にあった」「反対派は偽装県民」――。ネットで飛び交う情報を、普通に信じていた。だが、大学で、それが事実ではないという教員に出会った。論破してやろうと調べると、自分の方が「フェイク」に踊らされていたとわかった。大学の図書館で働く人は、2004年の大学への米軍ヘリ墜落後、今も機影に身がすくむ、と言った。

 基地問題に関心を持つようになり、同世代が基地について考えるイベントを開くと聞き、15年1月、初めて移設計画への反対運動が続く辺野古に足を運んだ。それから3年。基地が地域に分断をもたらしている実態を知った。基地や原発の地元を旅で巡ると、対立の構図が各地にあった。

 国策に振り回された地域でこそできることは何か。考えて出した答えは「自立」。今、自給自足をめざす小さなコミュニティーづくりに挑戦している。市民がまちづくりを支える分、基地問題は市長に託したい。「どちらが勝っても分断はすぐには終わらない。ただ、基地が造られれば、傷は深まる」。そう感じている。

■「ふるさとを好きじゃないと」

 名桜大(名護市)4年の新垣康大さん(23)は3日、新顔の渡具知(とぐち)武豊氏(56)の応援に奔走した。

 東京の大学に1年間、国内留学した。辺野古について次々と尋ねられ、うわべだけの説明しかできなかった。一方で、沖縄が好きでも基地問題から目を背けたり、沖縄戦の慰霊の日も知らなかったりする同世代にショックを受けた。在学中、同じ高校の一つ年上の具志堅さんと友人の紹介で知り合った。

 名護に戻り、15年2月に具志堅さんの誘いで初めて辺野古へ。警官と市民が衝突する「怖い場所」のイメージとは違った。反対運動に集まる県内外の人たちから、沖縄の現状や歴史を学ばせてもらった。基地があることが当たり前ではないと知った。

 ただ「君は賛成なのか反対なのか」と迫ってくる人がいた。地域住民に対して威圧的な態度をとる人もいた。敵を作るような姿勢は誰のための運動なのかと疑問を抱き、足が遠のいた。

 大学で観光を学び、名護の将来像を模索してきた。県外出身者には「名護は何もないね」と言われ、地元を離れていく同世代も多い。「基地問題を考えていくにも、ふるさとのことが好きじゃなければ始まらない。市長になる人は、今は街の発展に力を使ってほしい」

 反対運動への中傷には「一度現場を見てほしい」と言いたい。移設反対の思いは変わっていない。それでも、今のままでは前に進めないと渡具知氏の応援を決めた。「名護が受け入れれば、普天間がなくなる。一つ一つ問題を解決し、時間がかかっても基地を減らしていってほしい。これ以上、対立が深まってほしくない」

     ◇

 名護市長選は4日投開票される。移設反対の稲嶺氏=民進、共産、自由、社民、沖縄社会大衆推薦、立憲支持=と、移設を事実上容認する渡具知氏=自民、公明、維新推薦=による一騎打ち。米軍普天間飛行場の移設問題の是非が焦点となっている。(木村司)


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517699942
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【フェイクニュース】産経新聞、「米兵が日本人救助」を報じないと沖縄2紙を猛攻撃するもデマと発覚

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1 名前:ばーど ★:2018/01/30(火) 22:50:40.23 ID:CAP_USER9.net

沖縄2紙が報じないニュース
http://buzzap.net/images/2018/01/30/sankei-okinawa-fake/top.png


やはり産経新聞のレベルはまとめサイトを1mmたりとも超えるものではありませんでした。フェイクニュースで沖縄2紙を攻撃したものの大ブーメランが後頭部に突き刺さっています。詳細は以下から。

◆「美談」を取材もなしに政治利用
12月1日に昨年沖縄自動車道を走行中の米海兵隊曹長の男性が、意識不明の重体となった人身事故に関し、産経新聞は「曹長は日本人運転手を救出した後に事故に遭った」という内容の記事を掲載、この記事内で米兵による救出を報じない沖縄メディアに対して「報道機関を名乗る資格はない」などと批判していました。

しかし、米海兵隊は1月29日までに「(曹長は)救助行為はしていない」と琉球新報の取材に回答。沖縄県警も「救助の事実は確認されていない」としてることが琉球新報の記事によって明らかにされました。さらに県警交通機動隊によると、産経新聞は事故後一度も同隊に取材していません。

つまり、産経新聞は根も葉もない「美談」を鵜呑みにし、取材して検証したわけでもないにも関わらず、鬼の首を取ったように沖縄2紙へのバッシングネタとして用いたということになります。

◆産経新聞の長大なフェイクニュースとバッシング
産経新聞の高木桂一那覇支局長はネット上の「産経ニュース」で3000字に渡る署名記事で以下のように米軍曹長(編集部注:文中では「トルヒーヨさん」と本名で呼ばれています)を褒め称える一方で激しく沖縄2紙を攻撃。

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「誰も置き去りにしない」。そんな米海兵隊の規範を、危険を顧みずに貫いた隊員の勇敢な行動。県内外の心ある人々から称賛や早期回復を願う声がわき上がっている。ところが「米軍=悪」なる思想に凝り固まる沖縄メディアは冷淡を決め込み、その真実に触れようとはしないようだ。

(中略)

トルヒーヨさんはなぜ、路上で後続車にはねられるという二次事故に見舞われたのか。地元2紙の記事のどこにも書かれていない。

実はトルヒーヨさんは、自身の車から飛び出し「横転車両の50代男性運転手」を車から脱出させた後、後方から走ってきた「米軍キャンプ・ハンセン所属の男性二等軍曹」の車にはねられたのだ。50代男性運転手は日本人である。

 沖縄自動車道といえば、時速100キロ前後の猛スピードで車が走る高速道路だ。路上に降り立つことが、どれだけ危険だったか。トルヒーヨさんは、自身を犠牲にしてまで日本人の命を救った。男性運転手が幸いにも軽傷で済んだのも、トルヒーヨさんの勇気ある行動があったからだ。

(中略)

翻って沖縄県のメディアはなぜ、こうも薄情なのだろうか。それでも事故後、この「報道されない真実」がネット上でも日増しに拡散されている。「続報」として伝えることは十分可能だが、目をつぶり続けているのである。

(中略)

「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。

(【沖縄2紙が報じないニュース】危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動スルー ? 産経ニュースより引用)

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◆「美談」の拡散と「報道機関を名乗る資格」
この「美談」が無根拠のままに拡散した理由として、琉球新報は在日米海兵隊のツイッターがこの事故に関して「多重事故で横転した車から県民を救出した直後に車にひかれ」と、救助したと断定した書き方をしていた事を挙げていますが、内容はその後「多重事故で車にひかれ意識不明の重体になった」と訂正されました。

海兵隊も琉球新報の取材に対して「事故に関わった人から誤った情報が寄せられた結果(誤りが)起こった」と認めています。

>>2以降に続く

2018年1月30日15:14
buzzap
http://buzzap.jp/news/20180130-sankei-okinawa-fake/

関連スレ
【沖縄】「米兵が日本人救助」米軍否定 産経報道「沖縄2紙は黙殺」 県警も「確認できず」 昨年12月自動車道事故 ★4
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1517299623/

2 名前:ばーど ★:2018/01/30(火) 22:50:51.27 ID:CAP_USER9.net

>>1

この最初の情報から「美談」はネット上で拡散していったとされていますが、琉球新報は産経新聞がこの「美談」を無根拠に拡散したことではなく、それをネタとして沖縄2紙をバッシングするために用いたことに対してのみ反論を行っていることに十分注意すべきでしょう。琉球新報は産経新聞の高木支局長に

・どのように事実確認をしたのか
・県警に取材しなかったのはなぜか
・沖縄メディアには取材したのか

について質問をしたとしていますが、これに対して高木支局長は「当時のしかるべき取材で得た情報に基づいて書いた」という唖然とする回答を寄せています。

つまり、産経新聞にとっては事故処理に当たった沖縄県警への取材もなく、沖縄2紙への確認もなくネット上の情報だけで「美談」を事実と断定した上で、バッシングのネタとして利用にすることは「しかるべき取材」の範疇であると認識している事が明確に示された形になります。

琉球新報は記事の最後を「産経新聞は、自らの胸に手を当てて『報道機関を名乗る資格があるか』を問うてほしい」と結んでいますが、まとめサイト産経新聞に自らの胸に手を当てて「報道機関を名乗る資格があるか」を問うだけの誠実さがあればとっくの昔に自ら恥じ入って廃刊しているでしょう。

これまでもBUZZAP!では産経新聞がまとめサイトのレベルでしかないという事例を(その全貌から見ればほんの一部でしかありませんが)繰り返し報じてきましたが、改めて産経新聞が報道機関として信用するに足る媒体であるか、読む側がしっかり見極めなければならないのではないでしょうか?

おわり


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517320240
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【沖縄】辺野古反対派の68歳女性、警察官蹴った疑い 公務執行妨害で現行犯逮捕

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1 名前:孤高の旅人 ★:2018/01/30(火) 05:31:16.27 ID:CAP_USER9.net

辺野古反対派の68歳女性、警察官蹴った疑い 公務執行妨害で現行犯逮捕
2018.1.29 18:54
https://www-sankei-com.cdn.ampproject.org/c/www.sankei.com/west/amp/180129/wst1801290068-a.html

 沖縄県警名護署は29日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動中に警察官を蹴ったとして、公務執行妨害の疑いで、住所、職業不詳、紫藤則子容疑者(68)を現行犯逮捕した。署によると、容疑を否認した上で「弁護士が来るまでしゃべりません」と話している。

 逮捕容疑は29日正午ごろ、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、警備をしていた30代の男性警察官の右膝付近を蹴った疑い。
 署によると、ゲート前では当時、移設反対派が工事関係車両の進入を阻もうとしていたという。


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517257876
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【沖縄】空自F15戦闘機が緊急着陸 米軍嘉手納基地に

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1 名前:たんぽぽ ★:2018/01/29(月) 19:12:49.86 ID:CAP_USER9.net

http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180129/afr1801290040-s1.html
2018.1.29 18:57

 29日午後1時50分ごろ、飛行訓練をしていた航空自衛隊那覇基地(那覇市)のF15戦闘機が、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に緊急着陸した。空自那覇基地によると、油圧系統の不具合を検知したためで、けが人はいない。詳しい原因を調べている。

 F15は同日午後1時ごろに那覇空港を離陸。沖縄周辺上空で訓練していたが、離陸から約20分後に不具合を検知した。

 同機には当時、2人が搭乗していた。


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517220769
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【八重山日報編集長】「琉球新報」「沖縄タイムス」は、尖閣諸島周辺での中国船による領海侵犯を、ほとんど報じていない

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1 名前:(^ェ^) ★:2018/01/28(日) 20:58:49.01 ID:CAP_USER9.net

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180127-00000070-san-l41

 ■地元2紙の一方的報道指摘

 沖縄県・八重山地方で日刊紙を発行する八重山日報の仲新城(なかしんじょう)誠編集長が27日、佐賀市新栄東のマリトピアで講演し「沖縄では地元マスコミが、一方的なイデオロギーで言論空間をゆがませている。その風潮は県外にも広がりつつあり、日本全体が脅威にさらされかねない」と訴えた。(九州総局 中村雅和)

 仲新城氏は、沖縄県紙「琉球新報」「沖縄タイムス」の米軍基地をめぐる報道などについて「強い米軍や日本政府と、それに虐げられる沖縄県民という対立構図の下、『強者と弱者の両論併記は正義ではない』として、一方的に米軍や日本政府を批判している」と指摘した。

 具体例として、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設問題での抗議行動に伴い、傷害などの罪で起訴された沖縄平和運動センター議長、山城博治被告への姿勢を挙げた。沖縄タイムスは社説(平成29年2月7日付)で、山城被告について「県内や国内だけでなく海外からも、多くの励ましの声が届いている」などと記した。仲新城氏は「基地の必要性などには一切触れず、思想犯でない一刑事被告人を新聞が激励する異常事態だ」と述べた。

 また仲新城氏は、地元2紙が、尖閣諸島周辺での中国船による領海侵犯を、ほとんど報じていないと指摘した。「尖閣が危ないと強調すれば、(防衛のために)米軍が必要だという結論にならざるをえない。『米軍は出ていけ』という姿勢からは不都合だから、書けないのではないか」と推測した。さらに「とにかく権力を批判すれば良い、両論併記は必要ないという報道は間違っている。どちらの言い分正しいかは、読者に委ねるべきだ」と訴えた。

 こうした状況に一石を投じようと、八重山日報は29年4月、沖縄本島版の発行を始めた。仲新城氏は沖縄2紙の報道姿勢が、沖縄県外に広がりつつあると警鐘を鳴らす。

 「沖縄だけでなく、全国の問題として危機感を持ち、言論状況をただす取り組みを進める」と決意を語った。

 講演会は、佐賀土曜セミナーが主催した。


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1517140729
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【沖縄】遺族の苦しみ受け止めた3日間。チビチリガマ荒らしの少年たちが仏像を作って反省

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1 名前:記憶たどり。 ★:2018/01/26(金) 16:06:35.73 ID:CAP_USER9.net

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180126-00200587-okinawat-oki

沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起きた読谷(よみたん)村波平のチビチリガマが荒らされた事件で、
保護観察処分を受けた少年4人がガマ周辺で23~25日、犠牲者を悼む気持ちを込めて野仏を作った。
遺族会の與那覇徳雄会長や彫刻家の金城実さん(78)らと共同制作しながら、凄惨(せいさん)な歴史と
遺族の苦しみを受け止めた3日間。少年の1人は無知ゆえの行為を深くわび、「チビチリガマのことを、
みんなに知らせるようにしたい」と継承役となることを誓った。
 
千羽鶴などが壊され、遺骨が納められた祈りの場であるガマ内まで手にかけられたことに憤りと悲しみを
募らせた遺族と、少年による初の共同作業。3日間を通して交流も生まれた。

保護観察処分の一環。保護司や平和学習ガイドら10人ほどが少年を見守った。野仏は土台を含め
1メートルに満たない高さ。ガジュマルの中を含め、ガマを囲むように12体を配置した。

25日は與那覇会長や金城さんに声を掛けられながら、少年は砂と水を混ぜたセメントを作り、
野仏の土台を固定する作業に真剣な表情で取り組んだ。保護者の1人も加わった。

3日間の作業を終えた少年たち。最後に、保護者にうながされて遺族らの前に出た年長の少年が口を開いた。
「この場所の意味を知らずに遊び半分でやったことを深く反省している。してしまったことの重大さは消えないが、
今後はチビチリガマのことをみんなに知らせることをしたい」

深い反省と継続してチビチリガマにかかわる姿勢を示し、4人と保護者はガマに手を合わせた。
同席者はその気持ちに拍手で応え、涙を流す人もいた。母方の祖父母ら5人を亡くした與那覇会長は
「やった行為を反省してもらい、更生して立派な社会人になってほしい」と期待を込めた。

少年が前を向けるよう、今後もかかわり続けると話す金城さん。「やってしまったことは一生背負わないといけないが、
正面から受け止めて反省することで解放される。次世代にチビチリガマの歴史をつなぐことを期待している」と話した。


3日間を通して、少年たちが事件と向き合いながら作った野仏。チビチリガマ周辺に12体が設置された
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20180126-00200587-okinawat-000-view.jpg



引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516950395
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【歴史】「命が削られる音がした…」 沖縄水上特攻・生還者たちの証言 時代遅れの巨大戦艦「大和」とともに

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1 名前:泥ン ★:2018/01/26(金) 01:33:51.19 ID:CAP_USER9.net

現代ビジネス 2018.01.24
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54188
http://gendai.ismcdn.jp/mwimgs/3/6/-/img_3667f11e51a12add4fdee315311459882189698.jpg

http://gendai.ismcdn.jp/mwimgs/8/b/-/img_8b4fdf757e4e9b4766a1264cfa86ff112991525.jpg


■「何とか生きて帰ろう」と思ったが…

「燃料は半分。飛行機の護衛はない」

今から73年前の1945年4月、駆逐艦「雪風」の寺内正道艦長は、西崎信夫さん(91)たち乗員にそう話した。「特攻だ」と。

「母親から『是が非でも生きて帰ってきなさい。それでこそ立派な兵隊ですよ』と言われていました。だから、『何とか生きて帰ろう』と思っていました」

実際、西崎さんは1944年、かつて世界最強を謳われた、連合艦隊の機動部隊が壊滅したマリアナ沖海戦、その連合艦隊自体が事実上壊滅したフィリピン沖海戦、さらには護衛していた巨大空母「信濃」が米潜水艦に撃沈された海戦からも生きて帰った。しかし「特攻」と聞いた時は「『いよいよこれはダメだ』と」。

第二次世界大戦末期、劣勢の大日本帝国陸海軍が進めた特別攻撃隊=「特攻」について、筆者は昨年3回、現代ビジネスに寄稿した。いずれも戦闘機や爆撃機などが爆弾もろとも敵艦に突っ込む「航空特攻」について取り上げたものだ。

しかし、特攻にはそれ以外にも水上の軍艦による特攻(水上特攻)や小型潜水艦などによる特攻(水中特攻)があった。

ドラマや小説、ノンフィクションでも繰り返し描かれてきた航空特攻ほどは知られていないだろう。だが、これらの特攻では航空特攻に匹敵するほど多くの兵士たちが死んでいった。

「水上特攻」の代表は、戦艦「大和」など10隻による沖縄水上特攻がそれである。筆者はこれまで、「大和」を中心にこの特攻から生還した人たち30人近くに取材をしてきた。本稿では、この「特攻・大和艦隊」のことを振り返ってみたい。

■「世界最強」のはずが…

1941(昭和16)年12月に始まった米英などとの戦争で、大日本帝国は当初、勝利を重ねた。だが連合国軍が体制を整え本格的な反攻を始めると、劣勢に転じた。決定的だったのは1944年。ことに7月、サイパンやグアムなどマリアナ諸島を米軍に占領されたことだ。米軍がここを拠点に、大型爆撃機B29による日本本土爆撃が可能になった。

そのことを、日本の為政者たちは知っていた。だが、戦争をやめなかった。そのため被害は拡大した。戦争による日本人死者310万人のうち、実に9割が1944年以降と推算されている(『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』吉田裕著・中公新書)。

同年10月には、フィリピン戦線で航空特攻が始まった。「大和」など連合艦隊の主力が、フィリピン・レイテ島に上陸した米軍を撃退すべく、航空機の援護がないままに出撃した乾坤一擲の戦いであった。

「大和」は開戦間もない1941年12月16日に竣工した。全長263メートル、全幅38・9メートル。基準排水量6万5000トン。「世界最大」の戦艦であった。また戦艦の存在価値は主砲で決まる。「大和」の主砲は四六センチ砲九門で、最大射程距離は四二キロ。同時代の、他のどの国の戦艦より主砲が大きく、射程距離は長かった。

「大和」は「アウト・レンジ」戦法、つまり敵艦の砲弾が届かないところから、その巨砲で一方的に攻撃することができるはずだった。「世界最強」と謳われた所以である。

これは、敵味方の戦艦が主砲を打ち合って雌雄を決する(たとえば1905年、日露戦争の日本海海戦)という戦術思想に基づくものである。また、航空機は戦艦を沈められない、という前提もあった。ところが航空機の発達により、海戦の主力は戦艦から航空機とそれを積む航空母艦(空母)を中心とした機動部隊に移っていった。

「大和」は、誕生した時点で時代遅れの巨大兵器だった。帝国海軍が期待したような、アウト・レンジで敵艦隊を撃滅することはなかった。そもそも、「大和」にはそういう戦闘場面すらなかった。

「大和」が期待された戦果を挙げられなかったのは、海軍が使い道を対水上艦隊にこだわり続けたせいでもある。たとえば早くから機動部隊の護衛として、あるいは上陸した米軍を艦砲射撃で叩くことに使用されていれば、それなりの戦果を挙げただろう。

続きは>>2-4

2 名前:泥ン ★:2018/01/26(金) 01:34:00.74 ID:CAP_USER9.net

■水上部隊だけ何もしないわけには

ともあれ戦局の大きな節目となった1944年は、帝国海軍にとっても最悪の年になった。まず7月、前述のマリアナ諸島を守るべく出撃したマリアナ沖海戦で米海軍に惨敗。かつて世界最強だった機動部隊が壊滅した。さらに10月には、前述のレイテ島を巡る海戦で連合艦隊そのものが事実上壊滅した。「大和」とともに「浮沈艦」と言われた姉妹艦の「武蔵」も撃沈された。

為政者たちがずるずると勝ち目のない戦いを続けるうち、敵は日本本土に近づいてきた。そして1945年4月1日、米軍が沖縄に上陸した。この米軍を撃退するために出撃したのが「大和」特攻艦隊である。「大和」以下、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「濱風」「朝霜」「霞」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」からなる「第二艦隊」の10隻であった。

航空機の援護を持たない艦隊は、敵の機動部隊には勝てない。勝てないどころか惨敗を喫する。そのことは、ほんの半年前、フィリピン近海で学んでいたはずだ。

さらに沖縄近海を遊弋する米海軍の戦力は、機動部隊以外でも「大和」艦隊を桁外れに上回っていた。たった10隻でそこに殴り込んでも、勝算はほとんどない。そもそも沖縄にたどり着くことすら極めて難しい。無謀そのものの「作戦」だった。

このため海軍内部では反対論が強かった。第二艦隊でも伊藤整一司令長官以下、なかなか賛成しなかった。

こうした、失敗の可能性が極めて高い特攻が発令されるには、いくつかの背景がある。まず、底が見えてきた燃料事情だ。開戦直後に侵攻した、東南アジアの石油産出地域は占領を続けていた。しかしそれを運ぶ補給路を連合国軍に押さえられているため、運ぶことができない。備蓄の燃料が少なくなる中、膨大な燃料を消費する巨艦は「厄介もの」扱いされつつあった。

さらに連合艦隊参謀長だった草鹿龍之介の証言によれば「一部の者は激化する敵空襲に曝して何等なすところなく潰え去るその末期を憂慮し、かつまた全軍特攻として敢闘している際、水上部隊のみが拱手傍観はその意を得ぬというような考えから、これが早期使用に焦慮していた」(『聯合艦隊』)という雰囲気があった。

つまり、このままでは敵の空襲でなにもしないままやられてしまう。あるいは航空特攻を初めとして「全軍特攻」を標榜する中、水上部隊だけがなにもしないというわけにはいかない、といった危機感だ。

■昭和天皇への「忖度」

さらに、昭和天皇の影響もあった。

2014年9月、宮内庁が公開した『昭和天皇実録』(『実録』)には以下の記述がある(1945年3月26日の項)。

「御文庫において軍令部総長及川古志郎に謁を賜う。なおこの日午前十一時二分、聯合艦隊司令長官は天一号作戦の発動を令する」と記されている。「天一号作戦」とは、沖縄方面での航空特攻を主体とするもの。及川が作戦の詳細を説明したとみられる。

さらに4日後の30日、天皇は及川に会い「天一号作戦に関する御言葉への連合艦隊司令長官よりの奉答を受け」(『実録』)た。

及川が答えを言うからには、昭和天皇から何か質問されたはずだ。『実録』はその内容を記していない。しかし、その会話をうかがうヒントがある。宇垣纏(まとめ)海軍中将の日記『戦藻録』だ。1945年4月7日、つまり「大和」が撃沈されたその日に以下の記述がある。

「抑々(そもそも)茲(ここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈の総攻撃なるやの御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」

宇垣によれば、沖縄の作戦に関し及川から説明を受けた天皇は「航空部隊だけか」という趣旨の「御下問」をした。「水上部隊はどうするのだ。『大和』は出撃しないのか」と催促したわけではない。しかし、及川は大元帥=昭和天皇の意志を忖度した。それが第二艦隊の特攻につながったとみられる。

とはいえ、昭和天皇の言葉だけで特攻が決まったわけではない。前述のように、もともと海軍の一部には、「大和」を特攻させたい勢力があった。昭和天皇の一言は、そうした勢力を後押ししたのだ。

しかし、第二艦隊は特攻に納得しなかった。連合艦隊からは説得のため、草鹿龍之介参謀長(中将)を山口県・徳山沖に停泊する「大和」に向かわせた。納得しない伊藤らに対し、草鹿は言った。

「要するに、一億総特攻のさきがけになってもらいたい」

一億=国民すべてが本当に特攻したら、国家も民族も消滅する。それでは戦争を続ける意味がない。「一億総特攻」は比喩でしかない。草鹿の言葉はおよそ論理的ではないが、論理を超えた説得力があったようだ。「とにかく特攻したほしい」。そういう連合艦隊の本音に対し、伊藤は「そうか、それなら分かった」と応じた。

3 名前:泥ン ★:2018/01/26(金) 01:34:15.18 ID:CAP_USER9.net

■自分の命が削られていく音

1945年4月6日、午後3時45分。豊田連合艦隊司令長官は第二艦隊に電文を発した。

「(前略)帝国部隊ハ陸軍ト協力 空海陸ノ全力ヲ挙ゲテ沖縄島周辺ノ敵艦船ニ対スル攻撃ヲ決行セントスル。

皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ 茲ニ殊ニ海上特攻隊ヲ編成 壮烈無比ノ突入作戦ヲ命ジタル(後略)」

この「特攻」を「命令」していることを確認しておきたい。というのは戦後、特攻を指揮した将官などが「特攻は兵士たちの意志だった」といった旨の発言をし、今日に至るまでそう信じられているむきがあるからだ。

自らの意志で特攻に飛び立った兵士は、確かに多かった。しかし、そうではない兵士もたくさんいた。

筆者はこれまで、実際に特攻で出撃した兵士30人に取材してきた。この中に、特攻するかしないか選択を任された者は1人もいなかった。特攻「大和」艦隊の人々がそうであるように、初めから特攻と決まった「作戦」に送り出された者がいたのだ。

根拠もなく「意志だった」と言い張る将官は、そうでないと自分の責任が追及されることを恐れてのことか、そうでなければ自分に催眠術をかけて罪の意識から逃れようとしたのだろう。

艦隊による「特攻」を知った「雪風」の西崎さんは、居住区で瞑想していた。

「父の形見の腕時計をしていたんです。ふだんは聞こえない、『カチカチ』という音、秒針の音が聞こえました。自分の命が削られていく気がしました」

1942年に海軍特別年少兵一期生として入団した西崎さんはこのとき19歳。「酒も女も知らないで死ぬのか」と戦友に話すと「俺は国のためではなく、家族のために戦う」と言った。「おれも家族、それに友だちのために戦おう」と応じた。

同4月6日、前述の10隻からなる第二艦隊が沖縄を目指して山口県・徳山沖を出撃した。開戦前、米英とならぶ世界屈指の軍事力を誇った帝国海軍が、最後に送り出した艦隊となった。沖縄の陸軍は米軍に押されつつあったが、翌日反転攻勢に出る計画であり、特攻「大和」艦隊はこれに呼応する狙いもあった。

連合艦隊の方針では、航空機による援護はしないことになっていた。だが翌7日、かつて「大和」に乗っており、この時は鹿児島県鹿屋を基地とする第五航空艦隊司令長官だった宇垣は、自身の判断で特攻「大和」艦隊の直衛機を出した。しかしわずか10機。時間は午前6時から10時までだけだった。

そのわずかな護衛機がいなくなるのを見計らったように、米軍機の空襲は正午ごろから始まった。それ以降の凄惨な戦闘については、拙著『戦艦大和 生還者たちの証言から』(岩波新書、2007年)を参照して頂きたい。

■水上特攻の成果は…

「世界最強」と謳われた戦艦「大和」は実質2時間程度の戦闘で撃沈された。乗員3332人のうち、伊藤司令長官ら3056人が戦死した。生還者は276人。一割にも満たなかった。軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦「磯風」、さらに「濱風」「朝霜」「霞」も沈んだ。艦隊全体では4044人が死んだ(前掲『戦艦大和 生還者たちの証言から』)。たった。

この水上特攻で米軍が直接的に被ったのは戦闘機3、爆撃機4、雷撃機3の計10機の損失と戦死が12人。これが「大和」以下六隻と、4044人の命と引き替えた、直接的な戦果である。鉄板に卵を投げつけたような戦いだった。沖縄を取り巻く米軍を蹴散らすどころか、敵艦の陰すらみることはなかった。

無残な失敗の責任は、もちろん4044人にはかけらもない。この「作戦」を進めた海軍上層部にこそある。そしてその責任を負うべき者たちは、決して第一線には行かなかった。さらに陸軍が予定していた4月7日の反転攻勢は延期された(12日に実施し失敗した)。

宇垣は、この戦いについて海軍上層部を激しく批判した。

「全軍の士気を高揚せんとして反りて悲惨なる結果を招き痛憤復讐の念を抱かしむる外何等得る処無き無謀の挙と云はずして何ぞや」(前掲『戦藻録』)

士気を高めるためだったが、悲惨な結果となった。「復讐してやる」という気持ちを抱かせただけで、何も得るところがない無謀なことだった。そういう意味だ。

4 名前:泥ン ★:2018/01/26(金) 01:34:26.22 ID:CAP_USER9.net

■さらなる苦難

さて沈没する「大和」などから離れ助かった兵士たちには、さらなる苦難があった。

「大和」大爆発の後、あたり一面は重油の海となった。生き延びるためには、その海を漂いながら駆逐艦に救助されなければならない。疲れ切り、あるいは負傷した兵士たちには酷に過ぎた。駆逐艦側も、敵の制空権内に長く留まるのは極めて危険だった。

西崎さんの乗った「雪風」は舷側からロープを下ろして兵士たちを収容した。人間一人をひっぱりあげるのは相当な苦労だ。しかも、西崎さんは戦闘中、機銃弾が左足を貫通する傷を負っていた。それでも「火事場の馬鹿力」を振り絞った。

助けられる方は「疲れているし、重油ですべるからなかなか上がってこられない」。1本のロープに2人がぶらさがった。とても引き上げられない。「そういう時は、棒で一人の腕を叩きました」。叩かれた兵士は海に落ちた。その後どうなったのかは分からない。「そういう業(ごう)があるんですよ……」。西崎さんは70余年前のその光景を今も脳裏に刻んでいる。

特攻「大和」艦隊のように、船もろとも沈んだ遺体はほとんどの場合、回収されない。第二次世界大戦ではおよそ30万人もの日本人がこうした「海没遺骨」となった。無謀な作戦を遂行した者たちが、陸地で寿命を全うし、人によっては国会議員などになり再び国策遂行に関わったことを考え合わせると、戦後日本のありようが立体的に見えてくるだろう。

さて昭和天皇は敗戦後、この「大和」特攻について語っている。沖縄戦を振り返る中で、「とつておきの大和をこの際出動させた、之(これ)も飛行機の連絡なしで出したものだから失敗した」とし、「作戦不一致、全く馬鹿馬鹿(ばかばか)しい戦闘であつた」と断じた(『昭和天皇独白録』)。

筆者に特殊な能力があったら、4000人以上の死者たちにこの評を知らせたいものだ。

著者/栗原俊雄
1967年生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学大学院政治学研究科修士課程修了。1996年、毎日新聞社入社。横浜支局などを経て、現在、毎日新聞東京本社学芸部記者。著書に『特攻』、『戦艦大和』、『戦後補償裁判』、『勲章』などがある。


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516898031
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【沖縄】「自衛隊が来ると新たな犯罪や事故が予想される」と沖縄・石垣島の「八重山毎日新聞」1面コラム 防衛協など3団体が抗議

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1 名前:(^ェ^) ★:2018/01/19(金) 21:31:24.60 ID:CAP_USER9.net

http://www.sankei.com/politics/news/180119/plt1801190024-n1.html

 沖縄県の石垣島(石垣市)を本拠地とする日刊紙「八重山毎日新聞」が12日付の1面コラム「不連続線」で、「石垣も自衛隊が来れば自衛隊にまつわる新たな犯罪や事故が当然予測される」と書いたことを受け、八重山防衛協会、八重山自衛隊家族会、隊友会八重山支部の3団体は19日までに、コラムの記述撤回と謝罪を求める抗議書を、八重山毎日新聞の黒島安隆社長あてに提出した。

 コラムでは、政府による陸上自衛隊配備の是非が大きな争点となる3月11日投開票の石垣市長選や、秋に予定される県知事選などに触れて自衛隊をくさし、「今年の選挙は沖縄の基地負担のありようを問う選挙だ」と強調した。

 3団体は抗議書で「国家の主権と国民の生命財産を守る任務に就く自衛隊および自衛官の尊厳を著しく毀損するものであり、憲法で保障されている職業選択の自由をないがしろにしている」となどと批判した。

 筆者である八重山毎日新聞の上地義男氏は19日付のコラム「不連続線」で「『自衛隊や自衛官の尊厳や名誉を著しく毀損・侵害し、職業選択の自由もないがしろにしている』との意図は全くない。従って記述の撤回や謝罪の意思は全くない」と釈明した。

 そのうえで「沖縄では基地あるがゆえに女性暴行殺人などの米軍犯罪や事故が相次いでおり、自衛隊も日本の基地あるところでさまざまな犯罪や事故が起きているのは周知の通りだ」と指摘。「石垣も自衛隊基地ができれば、従来石垣ではなかった自衛隊にまつわる事件事故の可能性は当然予測できるので素朴にそう記述したまでのことだ」と反論した。ただ最後に「自衛官やその家族らの心情に配慮を欠いた面もあるだろうから今後は慎重を期したい」と書き添えた。

 八重山防衛協会の三木巌会長は同日、産経新聞の取材に対し「コラムで筆者は自分の推測にすぎないことを一方的に主張している。自衛隊を犯罪集団と決めつけており、許せない」と憤りをあらわにした。

 八重山毎日新聞は、陸自配備計画に反対の論陣を張っている。ホームページによると発行部数は「1万6000部(公称)」。


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1516365084
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【米国】米海兵隊員が海で沖縄県民ら4人を救助 勇敢な行動に最高峰の勲章授与

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1 名前:ばーど ★:2018/01/12(金) 12:02:21.13 ID:CAP_USER9.net

米海兵隊総司令官のロバート・ネラー大将は、休暇中に海で危険を顧みず、溺れかかった沖縄県民ら4人を救助したとして、米海兵隊キャンプ・シュワブ(同県名護市、宜野座村)に所属するアーロン・クランフォード中尉に対し、非戦闘時の勇敢な行動をたたえる海軍・海兵隊勲章を授与した。

 在日米海兵隊によると昨年4月23日、休暇中のクランフォード中尉は知人とともに沖縄県恩納(おんな)村周辺でダイビングを楽しんでいた際、離岸流で沖に流されそうになっていた沖縄県民を含む4人の日本人ダイバーを発見した。一緒に潜っていた知人が安全に陸に上がるのを見届けた後、ただちに海に戻り、波に流されつつあった4人を1人ずつ救助したという。

 キャンプ・シュワブで8日行われた勲章授与式で、クランフォード中尉は「間違いなく彼らは水中でもがいていた。装着していたダイビングギアは乱れ、誰かの注意を引こうと必死に腕を振っていた」と当時の状況を振り返えった。

 救助された沖縄県沖縄市在住の男性は「このままでは死んでしまうと思った。足が固まり、ボンベの酸素が空になったため海面に出ると、押し寄せてくる波で沖の方に流され、波の勢いで口元のレギュレーターも外れてしまった」と話した。

 救われた別の男性も「クランフォード中尉の助けがなければ、私は今ごろ生きてはいないだろう」と語り、命の恩人の勇敢な行動に深く感謝した。

 クランフォード中尉が所属する第3海兵師団司令官のティンバーレーク少将は「彼は海兵隊の素晴らしいお手本。彼の行動には多大なる勇気が必要であり、海兵隊員としての鏡だ」と称賛した。

 米海兵隊員の勇敢な行動はこれにとどまらない。

 昨年12月1日には沖縄県沖縄市で発生した車6台による多重交通事故で、在沖米海兵隊のヘクター・トルヒーヨ曹長がクラッシュした車から同県民の男性医師を命からがら救助した。ところが不運にも後続車にはねられて意識不明の重体となり、称賛や早期回復を願う声が日本全国でわき上がっている。

 米第3海兵遠征軍の担当官は産経新聞の取材にこう強調した。

 「海兵隊はいかなる状況であろうとも、また任務中であろうと任務中でなかろうとも、体現される誠実や勇気、献身といった価値をすべての海兵隊員に教え込んでいる」

配信http://www.sankei.com/world/news/180112/wor1801120032-n1.html
産経ニュース
http://www.sankei.com/world/news/180112/wor1801120032-n2.html


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1515726141
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